猫田の徒然なる日記

ほぼタイトル通りです。twitter @nekotamario

歩くということ


四月某日

この日もひたすら、歩いていた。

もし一日分のエネルギーが一人の人間ごとに決まっているのなら、私の一日分のエネルギー量は人より余程少ないことだろう。だからこそ自分のその日のエネルギーの残量を意識して行動する。それが、ものぐさと私が呼ばれる所以である。…と思う。

歩く事はエネルギーを消費する。しかしそんな計算とは裏腹に、数ヶ月に一度何処かへふらっと歩きたくなることがあるのだ。

電車を降りて二駅分、歩く。この日は春そのものといった暖かい気候だった。年端の行かない小さな子どもやその親、ベンチに座って昼食を摂る会社員、平日の昼間にも関わらず芝生の上ではしゃぐ学生。彼らを横目に大きな公園内を通り抜ける。途中、靴飛ばしをしている子どもの靴が飛んできそうになり、ひいっと小走りする。

私が歩きたいと思う時は、決まって考え事がある時で、それ以外で基本的に考え事はしない。それは先にも書いた通り無駄なエネルギーは消費しないという主義に基づいている。

今回の考え事は少し長引いていた。その為にここ数日、毎日のように様々な場所を歩く。地下通路を延々と往復したり、住宅街を左に曲がったり右に曲がったりしながら歩き続ける。
一つ大きな問題があるとするならば、私の一日のエネルギー量は少なく、繰り越しも出来ないことだ。


只ならぬ朝


四月十五日

四月に入ってから朝が明るい。日の入りが早くなったことで、朝の時間に午前九時の様な光が入ってくる。
この日の朝もそうだった。

眠りから覚め、ぼぅっと目を開いた瞬間のあまりの明るさに、確実に寝坊だと思った。慌てて飛び起きて時計を見ると午前六時。あぁ危なかった。首の皮が繋がった。
いつもの様にカーテンを開け、いつもの様にリビングへ向かいテレビを点ける。

あぁそうだった。昨日はこのお陰で夜更かしをしてしまったんだ。いつもならば、モニターの側に立ってニュースを読み和気藹々と番組を進めていくニュースキャスターが、真剣な顔をして椅子に座っている。カラフルなジャンパーを着こなし街中から天気予想を報道している天気予報士が、真っ黒なスーツを纏いスタジオ内で大荒れの天気を予想している。

今日は、いつもの朝ではない。


サラリーマンと大福


四月某日

いつもよりも遅めの帰路につくと、帰宅する人の波とぶつかった。

満員電車……という程でもなかったが、それなりに人がいたので人の間を縫うように進み、ある仕事帰りのサラリーマンの前に陣取る。

あぁ、重い。手違いで重い荷物を持ってきてしまったことを後悔する。履いているスカートが静電気で脚に纏わりつく。静電気止めスプレーしたのになぁ。一日中続く訳ではないんだなぁ……。
ふと、前で本を読んでいるサラリーマンの膝に紫の大福の袋が乗っていることに気付く。
うぅ。食べたい。

暫くして電車を降り、改札へ向かう。あの大福はどうなっただろうか。潰れてはいないだろうか。腹ペコだった私の頭の中は大福で埋め尽くされていた。

と、あるサラリーマンが私を追い越していった。よく見ると手には紫色の袋を下げている。なんと、この大福は私と同じ駅で降りたのか。そんな運命の再会を他所に、サラリーマンは大福を連れて足早に去っていく。
紫色が遠ざかる。

あぁ、大福よ。