歩くということ
四月某日
この日もひたすら、歩いていた。
もし一日分のエネルギーが一人の人間ごとに決まっているのなら、私の一日分のエネルギー量は人より余程少ないことだろう。だからこそ自分のその日のエネルギーの残量を意識して行動する。それが、ものぐさと私が呼ばれる所以である。…と思う。
歩く事はエネルギーを消費する。しかしそんな計算とは裏腹に、数ヶ月に一度何処かへふらっと歩きたくなることがあるのだ。
電車を降りて二駅分、歩く。この日は春そのものといった暖かい気候だった。年端の行かない小さな子どもやその親、ベンチに座って昼食を摂る会社員、平日の昼間にも関わらず芝生の上ではしゃぐ学生。彼らを横目に大きな公園内を通り抜ける。途中、靴飛ばしをしている子どもの靴が飛んできそうになり、ひいっと小走りする。
私が歩きたいと思う時は、決まって考え事がある時で、それ以外で基本的に考え事はしない。それは先にも書いた通り無駄なエネルギーは消費しないという主義に基づいている。
今回の考え事は少し長引いていた。その為にここ数日、毎日のように様々な場所を歩く。地下通路を延々と往復したり、住宅街を左に曲がったり右に曲がったりしながら歩き続ける。
一つ大きな問題があるとするならば、私の一日のエネルギー量は少なく、繰り越しも出来ないことだ。