猫田の徒然なる日記

ほぼタイトル通りです。twitter @nekotamario

ものぐさの根源に近い話


五月某日

ふと、昔のことを思い出す。

高校生の頃によく聴いていた曲をなんとなく聴いてみた。高校時代は、人生で一番楽しい時期だとか友達は一生モノだとか、様々言われることがある。私にとっては、高校時代は正しく苦痛そのものでしかなかったのだけれど。


自分以外の他人のことは文字通り他人事で、今も昔も大して興味がない。漫画や小説によくある「悩んだら励ましてくれる友達」はいなかったし、作り方もわからなかった。だからこそ私が学校を嫌いになったことは自然な流れで、両親の教育方針に従ってただの屍の如く毎日学校へ足を向けるだけだった。

勿論毎日律儀に通っていた訳ではなく、駅や喫茶店で時間を潰したり、嘘をついて授業を休んだり早退したりして適当にサボっていた。それでも家には学校の終わる時間まで帰れなかったのでそこでもまた時間を潰して、一言で言うととても暇だった。

こんなに暇になるくらいなら学校に行けばいいだけなのかな、と何度も思った。プライベートで一緒に遊ぶ程ではなくてもそれなりに友達はいたし、学校に居場所がない訳ではない。ただ面倒だった。同情されること前提で話をするクラスメイトとか、話が逸れた教師の意味のない説教とか、疲れることは嫌だった。

この意味のない時間、家で好きな勉強がしたい。どうしたらそんなに笑顔で学校に来れるのだろう。どうして高校生にもなって興味のない勉強をしなきゃいけないのだろう。いつまで経っても学校の楽しさがわからない。面倒くさい。私の頭の中はそればかりであった。


数年後無事に卒業して大学生になってから、私は両親が不登校に対しての理解が全くないことを知る。「学校は忍耐力を鍛えるところ。学校に行くだけでも忍耐力がつく」というのが持論だった。ふざけるな、と思った。

その後私が何度も不登校への理解を促そうとしても、聞く耳を持たず前述の言葉を繰り返すばかりだった。私は絶対にそのような考えは持つまいと誓った。もっとも説得を試みたのも、その頃には大学といった自由な個人の場に慣れて、余裕があったからこそ出来たことだったのだ。


そこまで思い出してから、つくづく良い思い出がないなぁと思う。けれど私は後悔をしていないしもう一度やり直したいとも思わない。なぜなら高校時代のやり直しなんて、そっちの方が余程「面倒くさい」からである。